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 古い歴史

名古屋市医師会の歴史において、「名古屋市医師会の前身は、明治8年〜10年にかけて愛知県下医界の有志をもって結成された「杏林社」にさかのぼる」とあります。この「杏林社」は、その後「名古屋医会」へと発展して行き、明治39年5月に初めて「医師法」が制定された折に、「名古屋市医師会」という法定医師会が設立されています。

ただ、明治時代の瑞穂区地域(愛智郡瑞穂村付近)は名古屋市ではありませんでしたし、医師同士の集まりはあったとしても人数が少なく、組織立ったものは無かったでしょう。その後、愛智郡瑞穂村地域は、いろいろな変遷を経て昭和3年に名古屋市(当時の南区)に編入され、昭和19年に現在のような瑞穂区として分離独立しました。おそらく昭和時代に入ると、名古屋市医師会の下部組織的なものが、瑞穂区地域にも形成され始めていたのではないかと思います。

しかし、第2次世界大戦の戦時体制になると、医師会組織は日本医師会と県医師会に統一されたため、この「名古屋市医師会」も昭和17年12月の勅令によって解散となり、愛知県医師会名古屋支部となりました。

 瑞穂区医師会の始まり

終戦後は、この勅令に基づいて設立されていた医師会はすべて解散させられ、昭和22年、名古屋市の行政12区にそれぞれ法人の医師会が設立されました。これによって、「瑞穂区医師会」が始まったわけです。
瑞穂区医師会が設立された当時は、かえって名古屋市医師会というものは存在せず、区医師会会長連絡会というものでゆるやかな横の連携があるだけでした。

しかし、昭和20年代の後半から、国民健康保険による国民皆保険制度の構想が進められてきました。これは、それまでは医療機関ごとにバラバラだった「診療や薬に対する値段」を、行政主導で統一しようということであり、医師会としても行政側といろいろな折衝をする必要に迫られることになりました。そして、区の単位では折衝の時の力が弱いためにもっと大きな組織にする必要が出てきて、昭和29年4月に、名古屋市医師連合会が設立されました。

 名古屋市医師会瑞穂区支部としての歩み

昭和34年1月に国民健康保険法が施行され、昭和36年4月から名古屋市で国民健康保険事業を実施することが決定されると、それに呼応するようにして、昭和35年7月、市内12の区医師会が大合併し、名古屋市医師会が設立されました。そして、その時から、瑞穂区医師会は「名古屋市医師会瑞穂区支部」となったわけです。

昭和40年1月になると、瑞穂区支部内の内科系診療所による、休日の輪番在宅医制が始まりました。それまでは、日祝日に病気になったらあきらめるしかなかったのですが、近くに診てもらえるところができたということは、当時としては画期的でした。この試みは、名古屋市14区の中でトップを切って行われたものであり、しだいに他の区にも広がって行きました。そして、昭和43年には外科有床診療所による、外科系の休日当番制も始まりました。

昭和53年に瑞穂区休日急病診療所が完成すると、輪番制をやめ、11月3日より年間約70日の日祝日・年末年始に、会員が交代で診療にあたることとなりました。これで、瑞穂区民も、休日に診療を受けられる固定した診療所が出来たわけです。

それと同時に、休日急病診療所の2階は医局と会議室となっており、瑞穂区支部も、会の運営を行う基盤が整備されました。この休日診療所は瑞穂公園の中にあり、本来は都市公園法で建築がきびしく制限されているところですので、当時の医師会諸先輩は、かなり政治的手腕があったのかもしれません。

瑞穂区支部の会員と班構成を見てみましょう。昭和35年当時、瑞穂区支部の会員数は86名で、中学区単位の津賀田、田光、萩山、瑞穂ヶ丘、汐路の5班に分かれていました。昭和47年には、会員数の増加のため(昭和51年には115名)、萩山班が中根、弥富、豊岡に分かれて、今日のような7班体制となっています。
平成6年には、A会員94名・B会員26名の計120名の会員数となり、その後、A会員の数はほとんど変わらないものの、B会員が大幅に増加し、平成26年には、A会員95名・B会員72名の計167名となっています。

 再び瑞穂区医師会へ

昭和35年に「瑞穂区支部」になってからも、実際には、ずっと「瑞穂区医師会」という通称を使って活動を行ってきました。しかし、正式には「名古屋市医師会の瑞穂区支部」でした。

ところが、平成20年に法人に関する民法が改正されると、名古屋市医師会は一般社団法人または公益法人のどちらかになることを迫られました。その法人組織変更に関係して、名古屋市医師会は各区の支部を組織を独立させ、名古屋市医師会はそれとは別の大きな組織という構成をとることになりました。

そのため、平成23年4月から「名古屋市医師会瑞穂区支部」という組織は、「名古屋市瑞穂区医師会」という、名古屋市医師会とは別の法人組織として分離独立したというわけです。ただ、実際には会員も役員も全く同じで、名称が変わっただけのことです。
瑞穂区休日急病診療所は名古屋市医師会の管轄のままになりましたが、瑞穂区医師会が名古屋市医師会から業務の委託を受けるという形で、今までと同じように会員が交代で診療にあたっています。

平成24年になると、瑞穂区休日急病診療所の建物が築35年を迎えて老朽化が進み、また耐震構造の問題のあり、建て替えることが検討課題に上がりました。平成25年7月から工事を開始し、平成26年2月に新しい休日急病診療所が、今まであったところと同じ場所に完成しました。

平成26年3月から、それまでと同じように新しい休日急病診療所で診療が始まりました。2階に医局と会議室があることは同じなのですが、今回はもうひとつ、医師会事務局というものを立ち上げました。そこには瑞穂区医師会の事務員さんが常駐しており、診療所の運営、医師会の運営に関わる仕事をやって頂いています。今後は、地域医療や在宅医療の拠点としての機能も持たせることを視野に入れて、活動を続けています。

また、新しい休日急病診療所は、災害が起きた場合の拠点としての機能も持っています。建物内には、災害が起きた時に使えるよう、非常用のガス式発電機、太陽光充電器、仮設トイレ、非常用水銀灯など、防災設備も備えられています。また、災害時の救急医療の拠点としても機能するよう、医師会会員内でネットワークも構築されています。

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